沢田研二ほどブレながら自分の本質を探し求め、ついに掴んだ典型例はない

沢田研二はずっと人の言いなりで生きて来た。それはトップスターになってからもだった。目覚めたのは売れなくなってからだった。

沢田研二は、GSブームの頂点にいた10代の頃から「勝手にしやがれ」でレコード大賞をとった30代まで「自分」も「自信」もなかった。

60年代の終わりを大ブームで席巻したザ・タイガース時代でも実際は最もアイドル的に人気があり、ザ・タイガースを引っ張っていたのに、本人は1番後からの新入りで音楽経験もなくメンバーの足を引っ張っていると自覚していた。

そしてソロ活動も「自分が売れるわけない」と嫌がっていたのを引っ張り出されるように再デビューしたところたちまちトップスターになった。しかし彼は「危険な二人」で「歌謡大賞」を獲得した時でさえ「この人気は本物ではないからいつ落ちるか分からない」と思っていた。

しかし当時のトップクリエイターにとっては素晴らしい素材であり、阿久悠などがそれぞれ自分の能力を競うように実験的で時代の最先端を行く作品を沢田に託した。日本で最初の男性のヌード写真集を出したのも沢田研二である。その時の沢田はまさに「素材」であり、素材自身は主張もせず、何も考えていなかった。

考えるようになったのは、渡辺プロから独立して自分の事務所を持ち、バンドメンバーを自ら集め、ステージの演出も、新曲の方向性も自分で決めなければならなくなってからだ。その頃のアルバムはあるものは非常にロックな方向性を持っていたり、あるものは気持ちよく聴けるAOR的であったり、と試行錯誤を繰り返していた。どのアルバムも質としては一級品なのだが、ほとんど売れなかった。しかしこの試行錯誤の時代が、沢田を目覚めさせ「自分はどうあるべきか」を考えさせるようになった。そしてたどり着いた結論は「自分が本当に思っていることを真正面から歌わなければ人には伝わらない」ということだった。つまり「素の自分」で勝負しなければダメだということである。(この点で郷ひろみが「架空の郷ひろみ」を演じ続けたのとは、全く反対なのである)。

そこで「憲法9条を守る」曲など「人気」のためなら絶対NGの作品を出したり、あるいは東日本大震災以降は震災で亡くなった人を鎮魂するミニアルバムを毎年3月11日にリリースすることだった。他のアーティストもボランティアのライブなどしたがせいぜい震災の年と翌年くらいまでなのに対して、沢田研二はそのミニアルバムを8年連続してリリースしている。

そのような歩調に合わせて外見も自然に任せ、白髭、グレーの蓬髪、肥満というまさにカーネルサンダースになった。そのどれもが彼の中では「自然のままでいることが尊い」「老いることは美しい」という中国の老荘思想のような信念から発していた。ある意味で紆余曲折の末それが沢田研二の現在の立ち位置であり、大きな出来事をきっかけにはしていないが失敗を繰り返しながらたどり着いた信念、つまり「自然な本音をファンに提示し、共感してくれる人にだけ共感してもらう」という「使命」であり、「老い方」なのである。

<沢田研二の特徴①>公私を明確に分ける

沢田研二は仕事の間は真剣に<ジュリー>となるが、それが終わったら私人としての沢田研二に戻る、という信念を持っていた。だから自宅まで遅くに押し掛けた女性ファンと口論になり殴って書類送検されたり、陰で愚弄した車掌を蹴り飛ばし事件になったり、というトラブルが多かった。

その点についてインタビューされると、必ず自分が悪いと反省はするものの、私人の時の自分は自分なりに人格も誇りもプライベートも持っている、それまでは捨てられない、それを捨てないと芸能人になれないなら自分は向いてない、と吐露するのであった。

確かに「自分を売り込むことに必死」な人間の集まりである芸能界には、沢田のような性格は本当は向いていないのかもしれない。しかしその彼が素材としては最高で、常にセンセーショナルな作品と衣装、そして演出でヒット曲を連発していたのが、ある意味、不思議なところで、敢えて言えば「悲劇」だったのかもしれない。
だから逆に、1人で何でも決めなければならなくなった時には、自分にフィットするものを選んだのだろう。

<沢田研二の特徴②>多分に内省的な性格

ヒット曲のパフォーマンスだけ見ていると信じられないが、彼は自分のアルバムの曲の多くを作詞している。

その内容は、どれもそのまま現代詩として通じそうな、イメージあふれる言葉と、極めて内省的なものである。

この本質が芸能界のトップに君臨している時でさえ「これは本当の人気ではない。いつかメッキのはがれる時が来る」と思わせたのである。またそのように自信がないから、ザ・タイガースの時にも「1番下っ端」という気持ちが抜けなかったし、ザ・タイガースが解散した時もほかのメンバーは早々と次の活動を決めているのに沢田だけ何も決めておらず、茫然としていた時に誘われてPGYというスーパーバンドに加入したし、さらにはPGYが自然解散した時も周囲がソロデビューをしきりに勧めるのに「グループで売れなかったんだからソロで売れるわけがない」と頑なに拒んだのである。

その沢田が、初めて自分で考え自分で決断するようになったのが、独立して個人事務所を作った時からなのである。ずいぶん遅い覚醒だった。

「君はどう老いるか」の特徴~郷ひろみと定年後の一般サラリーマンも分析

「君はどう老いるか」という本には、沢田研二を分析したように郷ひろみの本質も鋭く切り取っている。

本書を読んでいただければお分かりになるが、沢田研二も郷ひろみも最盛期が重複はあるもののほぼ10年ずれている。しかし同じようにトップアイドルであったことに変わりはない。にも関わらず、それぞれが自覚している「使命」も「老い方」もきれいに真反対になっている。読者からのコメントでも、その分析は目から鱗が落ちた感じだった、書かれている。
またスター2人ではなく、どこにでもいるサラリーマンが会社を早期退職して初めて、今までの自分の権威や、周囲が尊重してくれていたのは、全て会社を背負っていたからだった、本質の自分は何者でもない、ただの初老の男だったと気づき無力感に陥る姿も描いている。これが定年時に多くのサラリーマンが感じる、サラリーマンの第一の死だが、彼の場合はある本がきっかけになって、今までが練習問題で、本番はこれからだ、自分の使命はその中にある、と気づき復活する過程のストーリーが続く。

この例も、多くの定年を迎えて途方に暮れている、あるいは引きこもりになっている、管理職根性が抜けず地域で煙たがられている人には、自分の人生を再考し、これからの生きる指針、つまりは使命は何かということを考えるきっかけになるだろう。

郷ひろみ、沢田研二のファンだけではなく、定年を近く迎える人、迎えて呆然としている人はぜひご一読をお勧めする。

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