沢田研二は「受け入れる」側だ。彼はなぜ「受け入れ」、どのような「人生の意味」を自分の中で燃やしているのか。

「老い」を受け入れる人生も「拒否」する人生もある。
重要なのはその根本に自分の「生まれて来た意味」を理解し、それを全うしようとしているか、だ。

沢田研二は、GSブームで最もブームを起こしたザ・タイガースの中でも1番人気のあるボーカリストだった。ところが、普段は目立たない口数の少ない、主張することのない若者だった。なぜなら、自分は新入りで音楽経験もなくバンドのみんなに迷惑をかけていると思い込んでいたからである。
だからザ・タイガースが解散し、その次に所属したPYGも自然消滅してしまった時も、ほかのメンバーが素早く次の活動の場を見つけているのに対し彼だけが呆然としていた。そしてソロ活動をすすめられた時も「自分のような才能のない人間が売れるわけない」と絶対に承諾しなかった。

そこを無理にソロで再デビューさせたところ、瞬く間にトップスターになった。しかし彼は「危険な二人」で「歌謡大賞」を受賞した時でさえ「この人気は今だけだから、いつ落ちるか分からない」と考えていたのである。しかし当時のトップクリエイターにとっては彼は最高の素材であり、作詞家、作曲家、デザイナー、写真家などのアーティストが競うように、沢田研二を使って「時代を表現」していた。その時も沢田は、自分でアイデアを出すこともなく、本当にただの「素材」として与えられたことをするだけだった。「勝手にしやがれ」で帽子を投げる演出さえも、加瀬邦彦に言われてやっていたのである。
初めて考えるようになったのは、渡辺プロから独立して自分の事務所を持ち、全てを自分で決めなければならなくなった30代半ばからである。アルバムも試行錯誤の連続で、一枚ごとにロックの匂いが強くなったり、気持ちのいいAORになったりした。しかしどのアルバムもそれほど売れなかった。
彼はどうすれば市場に受け入れてもらえるかを真剣に考えた末、たどり着いた結論は、本当の自分や自分の考えをストレートに歌わないとファンにも一般消費者にも伝わらない、ということだった。つまり「素の自分」で勝負しなければダメだということである。そこで彼は「憲法9条を守る」曲や、毎年3月11日に東日本大震災での死者を鎮魂するミニアルバムをリリースし始めた。それも「芸能人の震災ボランティアブーム」が1年ほどで終わっているのに対し、8年間連続である。
その「素の自分」という指針が、自分が「老いて」来た時にも現れ、白髭、グレーの蓬髪、肥満というかつてのスーパースターとは思えない面影でコンサートのステージにも立った。彼の中では「素の自分」でいることが一番尊く、曲もそういうものの方が、自分に50年以上ついてきてくれたファンには響くと気づいていたからである。

だから彼は「老いることは美しい」と「老い」を受け入れ、その姿をファンに曝して自分らしい歌を歌い共感を得るのが「生まれて来た意味」、つまり「使命」だと考えたのである。

「君はいかに老いるか」で扱う、ほかの人間の「老い方」とは

事例から感じ取る

サンプルテキスト

  • 郷ひろみは「老い」拒否した

    郷ひろみは「老いを拒否」している。あるいはそれが彼の「老い方」である。

    だからいつまでも30代の外観を保つために、アスリート並みのハードなトレーニングを自分に課し、ストイックな生活を送っている。彼にとって「生きる意味」とは、自分の実年齢と変わらない50~60代のファンの前で、30代のままのルックスとスタイルで、派手なダンスをし、声量のある声で歌うことで、そのコンサートの一瞬だけでも、ファンに自分の年を忘れさせ、郷と同様に20代の自分に戻った気持ちにさせるという「イリュージョン」を提供することなのである。

    それが彼の気づいた自分の「使命」で、そのために人生の全てを捧げている。だから「23時間55分は郷ひろみ」だと、本名の原武裕実の人生は捨て、架空の「郷ひろみ」で生きることを選んでいるのである。

  • 「君はどう老いるか」著者の場合

    著者は現在60歳を少し超えたところである。55歳でアーリーリタイヤをし、ある人の一言で「会社では経営層に入り、権限も大きかったが、それらを失った裸の自分には肩書も力も何も社会に通じるものはなかった。自分は無意味な存在だ」と、いわゆる「定年うつ」になった。

    しかしアウシュビッツから奇跡の生還をしたドイツ人の精神医学者・フランクルの本で読み、試しに自分の技術と知識を棚卸したところ、社会ではそれを必要としている人たちがいると気づいた。そして「自分の考えの発表の仕方が分からない人」を出版で助けることと、学歴や職歴が足りず、薄給で貧困にあえぐシングルマザーの正社員就職の支援をすることを始めた。もちろん無報酬である。

    今はそれが自分の「生まれて来た意味」であり、その前の30年のサラリーマン人生はそのための準備期間だったと思っている。そしてこの経験を多くの「定年うつ」の人に伝えようと、「君はどう老いるか」を出版した。

  • フランクルの「使命」論

    ここまで「生まれて来た意味」と意訳して述べて来たが、フランクルがその著書の中で使っている言葉は「使命」である。

    つまり「人には誰でも自分だけの使命があり、多くの人はなかなか気づかないが、使命は気づいてもらえるのをずっと待ち続けている」というのが彼の主張だ。

    これは宗教ではない。現に著者は完全無信仰者で死ねばゼロになると思っている。だから「使命」という考えは、宗教というよりも「生きる哲学」なのだ。

    しかし大切なのは「考え方を変える」「認知を変える」ということなのである。よくある「定年本」は外出しろ、趣味を持て、友人を作れと「すること」を示すノウハウ本か、「釈迦の教えにすがって生きよ」というように「一つの生き方を押し付ける」説教本だが、それでは人は救われないのである。自分を救うのは自分しかいない。本は自己救済のために自分の「考え方」を変えるきっかけをくれるだけある。
    著者はフランクルの本をきっかけに「30年のサラリーマン人生は、もしかしたらシングルマザーを救済するための企画力や人材開発の知識を身に付けるための準備期間だったのではないか」と「考え方」=「認知」を切り替えられたことで、生き返った。そしてその体験も誰かの役に立つかもしれないと「君はどう老いるか」という本にしたのだ。


    あなたも「考え方」=「認知」を変えれば絶対に見えて来るものがあるはずだ。

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