どちらも「男女雇用機会均等法」が目指した世界ではない。
しかし現実はそうなってしまった。
男性社会における「名誉白人」になる?
古いコンサバティブな「いい奥さんでいいお母さん」を目指す?
古いコンサバティブな「いい奥さんでいいお母さん」を目指す?
1985年に男女雇用機会均等法が制定された大きな目的は、職場において女性というだけで「将来の道を閉ざされる」「男性と賃金に差が付けられる」「補助的な仕事しか与えられない」という現状を改め、能力とやる気がある女性にも男性と全く同様の仕事、評価、昇格の機会を用意する、ということにあった。
しかし実際の職場で女性を個人別にどちらを選んでいるのか区別して管理することは不可能である。
そこで考案されたのが「コース別人事制度」である。
これは1つは男性専門だった「営業職」や管理職への門戸を女性に開いた「総合職」というコースである。そしてもう1つが「男性の補助的業務」を担当する「一般職」コースである。
学生時代は一般的に言って、男子よりも女子の方が勤勉で勉強もよくできる。従って女性であることに不満を感じることは少ない。そこで、男性と同じ仕事をして男性と同様の評価と処遇が欲しいと思った女性は「総合職」を選んだ。
しかしこれが「学校」という男女平等の考えが隅々まで浸透している組織と、そのような戦後教育を受けていない男性、会社に入って男尊女卑の価値観にどっぷり漬かってしまった男性という、要はオジサンに占められている会社組織との根本的相違であった。
従って意気揚々と「総合職」として入社した女性を、まず会社の方がどのように扱うかの準備ができていなかった。そこで結局とにかく男性中心の「営業」などの部署に所属させる場合がほとんどだった。
しかし会社全体で制度ができていないのに、1部署で対応準備ができているわけがない。
そこで「総合職」の女性社員は、男性の新人社員と同様の扱いをするしかなかった。それは早朝出勤、深夜までの残業、得意先との酒席での接待、などをこなすということである。
ところが、相手の会社は自社よりもさらに古い体質の場合も非常に多かった。従って酒席に同行すると、相手はホステスか何かだと勘違いしらような扱い、いわゆるセクハラを受けることも多々あった。
逆に日本の企業文化の悪例として、仕事の方針が終業後の居酒屋などで課長を中心にした数名の酒席で決まってしまうことも多かった。従って朝出社すると、知らないうちに昨日までとは方針が逆になっていることも少なくなかった。もしも方針変更のプロセスに参加したかったら、終業後の「飲みにケーション」に、アフターファイブを潰して参加するしかなかった。
しかしそこまでしても、女性総合職が評価されるには男性の1.5倍の成果を出さなければならなかった。なぜなら「男性並み」ではインパクトがなく、相手の頑迷な頭を改めるところまで行かなかったのである。
そのため総合職女性たちは、男性以上に必死に早朝から深夜まで働き、家にも仕事を持ち帰り、休日にも家で仕事をするしかなかった。この姿がタイトルで挙げた「男性社会で名誉白人」になるということである。
つまり女性であることを捨てて疑似的に男性にならないと均等法における総合職にはなりきれなかったのである。
このような過剰勤務は当然彼女たちの身体も、常に「男性に負けられない」という張り詰めた状態の神経も、ズタズタにしてしまい、ほとんどの女性総合職は心身を壊して休職、退職に追い込まれた。
また一方で高卒や偏差値の低い大学卒業の女性は最初から「一般職」での応募しかできなかった。そして入社すると、仕事はまさに「会社の妻」のように担当の男性社員の業務の補助、雑用(タバコや缶コーヒーを買ってくる、新幹線のチケットを取るなど)まで、まさにやりがいのない仕事ばかりであった。
また均等法以前は、女性の処遇は年功型ではなく、長く勤め、自分の仕事に習熟しても給与が上がることはなかった。しかし均等法以降は、男性と同様に(つまり総合職と同様に)年功型の給与体系になったのである。これは若いうちはうれしい制度だったが、だいたい30歳を過ぎると、担当している補助業務に対して受け取る報酬が多すぎる、という状態になってくる。「コピー取りだけでこの給与!」ということである。
そうなると会社からは、無理やり総合職になるための試験を受けさせられ、合格したら男性と同様の営業の仕事をしなければならなくなったり、あるいは昇格試験を拒否したり何度も不合格になると、遠隔地などとても通えないような(もちろん彼女たちの給与では住居費は賄えない)営業所への転勤を命じられたりして、間接的に退職に追い込まれた。
従って一般職の彼女たちに残された時間は、20歳前後に入社してから30歳までの10年弱で、何としても将来性のある男を捕まえて寿退社まで持ち込むことだった。出社の目的も仕事ではなく、いかに将来性のある男を捕まえるか、になるので彼女たち一般職は給湯室などに集まっては情報交換したり、合コンをセッティングしたりして、何とか寿退社から優雅な専業主婦を目指すことが最終目的になった。
これが古いコンサバティブな「いい奥さんでいいお母さん」を目指すということである。
check!
社長になるか?社長夫人になるか?
男女雇用機会均等法によって煽られた女性の人生の行く末
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Point 01
女性の「非選別競争」
男女雇用機会均等法が施行される時に、本屋には「社長になるか社長夫人になるか!」と言うようなタイトルの本が並んだが、しかし現実には社長になれる女性も社長夫人になれる女性も実数的にはごくわずかである。
ほとんどの女性は、男性社会で名誉白人の地位を手に入れ、その居心地の悪い椅子に座ることに慣れて自分で稼いでも、「ほどほどの生活が送れる境界である年収700万円を超えるのは20代で0.4%、30代まで含めても4.6%しかない。従って自分が「総合職」として生きながらえるのも大変な苦労が必要であるが、一方で結婚して「いい奥さんいいお母さん」になれる倍率も非常に高いのである。それはまさに女性同士の争奪戦だった。
それも積極的に「奪う」という争奪戦であれば比較的簡単である。この争奪戦が困難なのは、自分で選択して奪う戦いではなく、いかに「奪われるか」という、まるで罠を仕掛けるかのような争奪戦を行わなければならないということなのである。
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Point 02
女性新入社員の配属先の変化
「進んでいる」と言われていた企業には均等法施行前から、女性で男性のように企業の営業などの基幹部門を担当している人もわずかにいた。
しかし均等法後、その数は激増したのである。部署別の女性配属率は、
・法人営業:1985年5.6%→1990年12.5%
・個人営業:1.8%→が8.0%
と激増している。
また企業が女性社員に求める資質は、1988年には
1位 事務処理能力75.1%
2位 礼儀とマナー71.5%
3位 気配り70.5%
がベスト3だった。
しかし1990年には
1位 判断力49.8%
2位 責任感47.1%
3位 企画・分析力44.2%
と大きく変わっている。
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Point 03
「総合職」=中森明菜、「一般職」=松田聖子
男女雇用機会均等法の施行は1985年。
その頃、トップアイドルの座を争っていたのが松田聖子(1980年デビュー)と中森明菜(1982年デビュー)である。
この2人の芸能界での「戦い方」が、均等法化の2つの働き方と挫折の物語と非常に似ている。
まず中森明菜は自分の中に明確に「中森明菜像」があり、その像に相応しい曲、演出、プロモーション、ステージに非常にこだわった。
明菜の主張は常に「大人たちの決定事項をひっくり返す」ことだったが、まだ若かった明菜は論理より感情的にしか主張できなかった。
だから周囲は「明菜のわがまま」と理解し、明菜の意見を通した。
明菜はこの毎回の「戦い」と自分の「意見」が「わがまま」としか取ってもらえないことに毎回疲弊し、ついには心身ともに壊してしまった。
それが1990年初頭でありそれ以降ほとんどメディアの前に出ていない。
この明菜の「戦ってボロボロになる」姿こそが、「総合職」の苦闘と完全に重なるのである。
また松田聖子は自分の意見はあったが、それは出さず、楽曲、衣装、振り付け、キャンペーン、ステージの演出などのほとんどを周囲の「大人」であるスタッフに任せていた。自分で決めたのは「聖子ちゃんヘア」くらいである。「ぶりっ子」と揶揄されたが、「そうよ、私はぶりっ子よ~」と返せるだけの余裕があったため、揶揄も結局自分に対するポジティブな評に変わってしまうのだった。
そのように聖子は常に用意された「おみこし」に乗ってアイドルのトップまで上り詰め、神田正輝と結婚して1児の母になり、さらにそこからすぐに復帰して「アイドル」として活動した。その姿は「ママドル」と呼ばれ、新しいカテゴリーを作った。
この時の聖子もやはり1990年前後のことである。一般職女性が目指したのは聖子だった。そこで何とか結婚・出産までは聖子と同じように生き、完全に聖子と重なっているが、問題はそれ以降であった。
なぜなら、相手が家族3人で優雅に暮らせるほど稼いでいなかった、子供を塾に通わせるには費用がかかった、郊外に細長い3階建てのマイホームを購入してその莫大なローンを抱えたり、などの理由でとても「優雅な専業主婦ライフ」などしている余裕はなかったのである。
彼女たちはそのため一般職の時よりはるかに安い時給、劣悪な職場環境に我慢しながらパートタイマーの仕事をした。
結局、彼女たちは「聖子になる」ことはできなかったのである。
このような総合職と一般職の問題、聖子と明菜の問題を重ねて分析するという非常にユニークな本が「戦う女と媚び倒す女」である。興味のある方はぜひ手に取ってお読みいただきたい。
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