一般職女性も仕事は適当にして婚活に精を出そう。

聖子は全ての恋愛遍歴を平気で肥やしにし、トップアイドルの座を維持し、全てを手に入れた。

松田聖子と言えばトップアイドルとして数々のヒット曲を出し、ぶりっ子、聖子ちゃんカットと社会風俗へも大きな影響を与えた大アイドルスターだが、同時に数多くの男性遍歴によってもマスメディアをにぎやかしたと言える。
まず最初は、デビューが同期で歌番組でもよく共演し、グリコはその人気に当て込んで自社の代表製品のCMに起用した田原俊彦である。
2人は付き合っているというウワサが大々的に流れ、特に聖子に対して田原ファンからカミソリ入りの手紙が届き、少し2人が近づいた姿を放映しただけでTV局の電話が抗議でパンクし、グリコの広告が中止になったりした。
しかし2人の関係はそのスキャンダルから30年以上経ってから田原がバラエティ番組で「チューまでですよ」といったことで、その程度のことかと世間は呆れたのだった。

しかし当時聖子は10代であったにも関わらず、嫌がらせや執拗な取材にも嫌な顔1つせずに対応したのだった。
その次のスキャンダルが郷ひろみである。

郷と聖子は本格的な付き合いだったようで、結婚も目前と言われていたが、しかし1985年1月22日に松田聖子が突然、別離会見を行った。そこで聖子は「好きで愛し合って別れるんだから、今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」と言い、堂々とそのような発言をしてしまうことでスキャンダルを沈静化させてしまった。(それもこの発言は聖子の創作だと後で判明する)
しかし更に芸能界やファンを驚かせたのは、その「涙の破局会見」からわずか10日後に聖子が映画で共演していた神田正輝と堂々と交際宣言をし、3月には早くも結婚を正式発表したことである。
その経緯は以下の通りだ。


1984年11月 「カリブ・愛のシンフォニー」で神田正輝と共演
1984年1月22日 郷ひろみと破局会見
1985年2月1日 神田正輝と交際宣言
1985年3月4日 結婚会見


である。つまり神田正輝とはわずか3カ月で結婚を決意し、そのうち2カ月は郷ひろみとの交際が重複していたのである。マスコミもその点を指摘したが聖子はノーコメントを通し、その間に2人の名前にひっかけて「正規(聖輝)の結婚」などと歓迎ブームの方が盛り上がり、聖子はこのスキャンダルも自分のプラスにしてしまったのである。
更に結婚後も聖子は、ニューヨークのダンサー、ジェフ・ニコラス、アランリード、自分のアルバムをプロデュースした原田真二など次々と浮気を繰り返した。結婚生活も上手くいくわけがなく神田正輝とは10年で破綻し、その後、2回結婚した。

現在の結婚相手は結婚当時は慶應義塾の准教授、現在は神奈川大学教授の男性である。これは相手には8歳年下の妻と双子の子どもがいる家庭から奪ったいわゆる略奪婚であった。
しかしどのスキャンダルもその都度聖子はいつの間にか世論を味方に付けてしまい、まさにエネルギーにしたのである。
不倫や略奪などはおススメしないが、あらゆる人生のトラブルを味方につけて欲しものをゲットしていく姿勢は、会社での仕事よりも将来の幸福を探すことの方が重要な一般職の女性にとっても参考になるかもしれない。
本書「戦う女と媚び倒す女」では聖子が男性に限らず、仕事をする上での環境をどのように自分のために整えていったかを詳細に分析している。ぜひお読みいただきたい。

聖子が世の中を乗り切った技を参考にしよう

目指せ、優雅な専業主婦

  • スタッフが差し出す「おみこし」には一切文句を言わずに乗る

    聖子は「ライバル」の中森明菜と違って、セルフプロデュースは40代になるまでせず、それまではスタッフが用意したプロモーション、衣装、発言内容、取材内容などの「おみこし」に何も文句を言わずに乗った。

    その方が周囲との関係がうまくいき、実際の自分とは違っても架空の「松田聖子」を演じるには都合がよかったからである。


    そして現場のトラブルも自分の機転でクリアさせ、スタッフの信頼を得たという姿勢も大きい。

    ある海岸の町でのロケの時に、スタッフが全員乗れるだけの車が用意されていなかった。

    「誰かが歩かなければならない」

    現場が一瞬青くなった時に、聖子が機材運搬のトラックの荷台にいつの間にか乗っており、上機嫌に「出発進行~」と声を挙げたのである。

    その場にいた者はみなほっとした。


    こういうことができるのも松田聖子の「強さ」であり、その強さを支える「生きていく知恵」のようなものが備わっていた証拠だろう。

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  • あれは泣き真似?それとも本当?


    また聖子というと必ず「ぶりっ子」「泣きまね」という悪口が言われるが、その由来はレコード大賞・最優秀新人賞の受賞時に、ステージ中央で聖子は「おかあさ~ん」と泣いたのに涙が出ていなかったということからである。

    それが漫才などで「あの子はホンマにぶりっ子でっせ!」と取り上げられたことで、語尾をしゃくりあげるような媚びの入った歌い方、可愛い衣装などを含めて、「ぶりっ子」という言葉が流行語大賞にノミネートされるほど流行してしまった。


    しかし実際に涙を流していたとしても、聖子は一切言い訳しなかった。なぜなら聖子はTPOに合わせて本当は嫌なことでも、それで評判になるなら平気な顔でいられたからである。


    この周囲から期待されるアイドル像に自分を一致させられる、というのが聖子の最も強いところであろう。

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  • 結婚、出産してもできるだけ現職に復帰しよう!


    一般職女性が生活レベルを上げるには「将来性のある男性」と結婚するのが最も確実な方法である。


    従って、つまらない補助業務を一生懸命するよりも、女性誌で気になる男性を振り向かせる方法をチェックしたり、同僚と合コンの打ち合わせをしたりする方が重要である。

    本来、会社員としてはそのようなことは勧められないが、そもそも人事制度が一般職女性には補助業務を担当させ、昇級、昇格の対象外にするということになっているのだから、それに対応するだけのことである。


    そして日頃の努力によって、理想に合った男性と結婚できたとしても、そこから先の結婚生活が予定通り「優雅な専業主婦」になるかどうかは分からない。

    夫が順調に昇級・昇格していくかもわからないし、子供の塾通い、習い事、自宅購入の際のローンなど大きな出費が待っている可能性は大きい。


    これを結婚時に寿退社をしてしまっていると、そこから新しい仕事に就こうとしても非正規の安い時給のものしかない。

    だから結婚しても出産しても、それは有給や産休で対応し、ゆっくり現在の会社の一般職に復帰することがベストなのである。


    今回ご紹介している「戦う女と媚び倒す女」ではこのような一般職、総合職の女性の生き方を豊富なエピソードをもとにした鋭い分析で松田聖子、そして中森明菜の生き方と重ね合わせて分析している。


    興味のある方は是非お読みいただきたい。

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一般職女性がどうしたら松田聖子のようにしたたかに生きられるか?中森明菜のように挫折しないで済むか?に興味のある人はぜひお読みください。

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