聖子と明菜のファンでなくても80年代の芸能界に興味があれば、絶対に満足できる好評論。
「中森明菜」である必然を守るために「大人」と常に戦い、最後はボロボロになった明菜。
周囲の「大人」が用意したお神輿にうまく乗って全てを勝ち取った聖子。
周囲の「大人」が用意したお神輿にうまく乗って全てを勝ち取った聖子。
松田聖子は1980年に「抱きしめたい! ミス・ソニー」というキャッチフレーズでCBSソニーから「裸足の季節」でデビューした。社名をキャッチフレーズに付けるなどは、長嶋茂雄を「ミスター・プロ野球」と呼ぶのと同じく、非常に高く期待されていた証である。
実際CBSソニーはすでにその年内で結婚・引退が確定している山口百恵に次ぐアイドルスターの育成が急務だった。デビューに使うプロモーションコストも通常1人1千万円程度なのが、聖子の場合ソニー、サンミュージックで合計7千万円というけた外れのキャンペーン予算を組んだ。
まさに社運をかけて、久留米から出て来た海の者とも山の者とも分からない少女に投資したのである。
「裸足の季節」は資生堂の新製品「エクボ」のCMソングだけの採用だった。なぜなら肝心の聖子にエクボがなかったからである。しかし、返ってそれが視聴者の興味を煽り「あの透明な声の主は誰だ!」と大評判を呼んだ。そのような世間の注目の中、リリースした2曲目の「青い珊瑚礁」は新人の2曲目として考えられない速さでザ・ベストテン(TBS系)の1位となり、山口百恵の引退が秒読みの中、新しいアイドルスターが誕生した。
中森明菜はオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)で過去の合格者の中でも最高の392点を出し合格し、これもまた史上最多の11社のレコード会社、プロダクションからスカウトされる。
明菜の場合は特に家の中で最も権限を持っていた母親が歌好きでよく幼い明菜に歌を教えていたほどだったから、デビューまでの道のりは平たんだった。むしろ兄弟が協力して、学校の昼休みに校内放送をジャックして明菜の新曲をかけたり、音楽の授業中に、教師に頼んでデビューの2曲の候補の両方を生徒に聴かせ、投票を募ったほどである。
そして翌1982年に明菜は「スローモーション」でデビューした。キャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。大人びたアイドル像を狙っていたことがわかるキャッチフレーズである。しかし重要度は聖子にプロダクション・サンミュージック、CBSソニーが賭けているほどでのものではないのは明らかである。
デビュー曲は来生たかお・来生えつこ姉弟コンビの作で曲としての出来は非常に良かった。しかしミディアムテンポの悪く言えば若さを感じさせない、大人の鑑賞に耐える曲だったので、ヒットにまでは結び付かなかった。そこで2曲目は方向転換して「ツッパリ少女」をイメージした「少女A」をリリースしたところオリコン週間ランキング1位、同時リリースのアルバム「変奏曲」は74万枚と新人であることを除いても驚異的な売上を記録し、「シングルもアルバム関係なく売れる『世界観』を持った大型アイドル」として聖子を追う立場になった。
その後は2人ともベストテンの常連となり、度々1位を争ったが、聖子が明菜を「自分が1番になることを阻むライバル」だと思い、「ライバルですか?」と聞かれると必ず「ハイ」と答えた。そもそも聖子は、現実の「今週のベストテン」の中で戦っていたので、「山口百恵2世」と呼ばれても「百恵さんは好きですけれど、私は同期のアイドルの女の子たちの方がよっぽど気になります。うっかりしているとすぐに抜かされちゃいますから」と言っていた。しかし、明菜は人との競争よりも「中森明菜に相応しい歌をいかに歌うか」の方に関心があった。
その2人の姿勢は「大人」であるスタッフとの付き合い方との違いにも明らかだった。
聖子は「百恵本人=実像」と「歌手山口百恵=虚像」をできるだけ一致させる山口百恵の戦略とは全く逆の「ファンの頭の中にある理想の恋人像」、すなわち男子には自分を立ててくれて健気についてくれる女子」、女子にとっては「気が弱いけれど自分と同じように初めての恋愛を何とか前にすすめてくれようと不器用に努力している男子を、すこし焦れながら待っている女子」を演じる戦略だった。
それが、アンチ聖子からは「可愛い子ぶっている」ということで「ぶりっ子」と揶揄された。しかし聖子はラジオでも番組のMCから「ぶりっ子~」とからかわれても「はーい、私はぶりっ子で~す」と答え、その場を盛り上げた。このように聖子はどのような話題であっても、それを使って自分に対する向かい風を追い風にしてしまうのだった。だからお姫様の衣装も、少女の初々しい恋の歌も、水着撮影も、笑顔の集合写真も、全て周囲の「大人」が用意したものに素直に乗ったのである。
一方明菜はデビューする前から、「中森明菜はこういう歌手だ」という明確な明菜像を自分で持っており、それを周囲の「大人」と戦うことになっても頑として譲らず、絶対に実現させようとした。
それは先に述べてしまえば、明菜の自己肯定感の低さに由来すると思われる。自己肯定感が低いからこそ、自分のそのわずかに残された「自分らしさ」を守るためには必死になったのである。そのため自分が高校の頃、どちらかというと不良のカテゴリーで、ソフトな「カツアゲ」さえしたことがあった、という過去をほじくって売りにするつまりだと感じた不良少女の歌である「少女A」も最初は頑として歌わないと拒否した。水着撮影も大嫌いで、ある冬に厳冬の海岸に行っての水着撮影で笑顔がなかなかできない時、マネージャーに「そんなことでどうする!」と叱咤されると「それならあんたが代わりにやってみな!」と凄んだほどである。
しかし歌うべき時には何があっても歌う、という信念・執念があり、土砂降りの遊園地の特設広場でのミニコンサートの時も、客はまばらだったが、明菜は屋根のないステージでずぶ濡れになりながら「スローモーション」を歌い切った。
以上のように聖子は世の中の大人の戦略に上手乗ってトップアイドルになり、石原プロの二枚目俳優・神田正輝というと盛大な結婚式を挙げ、出産後もすぐに復帰して結婚前と全く変わらないコンセプトで歌い続け「ママドル」という言葉を作ったほどであった。聖子は戦わないで自分の欲しいものを全て勝ち取ったのである。
一方、明菜は大人とは自分が勝つまで戦い、自分の「理想の中森明菜」像は守ったが、もともとガラス細工のような神経は心身ともにその都度ボロボロになった。また山口百恵に憧れ、自分も早く結婚し子供が欲っしていたが、近藤真彦の裏切りでさらに心身は傷つき、全く人が信じられなくなってしまった。それどころか、病名は明らかにされていないが恐らくはうつ病を発症し、人前に出ることさえできなくなったのである。
このように2人の芸能界での生き方、したたかさは全く異なるのである。なぜこの違いが生まれたかは、育った環境の違いからも想像がつくが、歌う楽曲にもその背景に「大人の世界を生きていく戦略」が透けて見える。その詳しい分析はぜひ本書「戦う女と媚び倒す女」で読んで欲しい。
聖子、明菜の全く異なる生き方がもたらした宿命的な物語
芸能界でそれぞれ「本当の自分」とは逆の姿を演じた聖子と明菜
サンプルテキスト
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聖子の「戦わずに勝つ」のは昔から
聖子の小学一年時の担任は、聖子にとって初めての男性教諭で生活指導の面で非常に厳しかった。
聖子が白の運動靴ではなく赤い靴で登校したいと言った時も一言の意見も聞かず却下したし、聖子が校則を無視して上履きのまま運動場で遊んでいると、それを見つけた男性教諭は聖子の上履きも靴下も取り上げ、寒空の下、裸足で校庭に立たせた。
さすがの聖子もその時は泣いていたが、しかし校舎内に戻ると何もなかったように男性教諭に「先生、ねぇ、せんせぇ」といって近寄って行くのである。
これにはさすがの担任も聖子に対してだけは多少の甘くひいきするようになったのである。
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明菜の自己肯定感の低さの要因
明菜は大家族の中で、裕福ではないものの、カルガモのように6人で同じ柄のセーターを着て街を一緒に歩く仲の良い中森6人兄弟として大切に育てられたという記事が多い。
たとえば、聖子が幼児期に発熱すると、薬嫌いの母親がインスタントラーメンのスープにニンニクなどを入れたスープを飲ませ、明菜が夜中に寝汗をかきながらふと目覚めると、いつも母親が隣に行って「大丈夫かい」と声をかけてくれた。
この話自体、明菜は子供の頃の大切な思い出と自叙伝にも書いている。
しかし一方で病弱な自分がいつも家族の足を引っ張っていると感じていた。例えば家族で遊びに行く計画があっても必ず明菜が熱を出し、兄弟から「また明菜のせいで」といわれていた。そして夜になるとその話とは関係なく、母親は酒を飲みながら「明菜さえいなければ」と言って泣いたのである。
それらの体験は明菜の自己肯定感をどん底まで下げ「生まれてこなければよかった」といつも思わせた。
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聖子、明菜にリンクする女性の生き方
聖子は大人の準備した戦略にうまく乗って自分の欲しいものを全て勝ち取った。
明菜は自分らしさを守るために戦い、最後には実現させ、自分の低い自己肯定感も何とか守ったが、そのプロセスでいつもひどく傷つき、疲弊した。
この2人のトップアイドルの姿にリンクする、現実社会の女性たちがいる。
それが、まさに聖子と明菜の全盛期である1985年に制定された「男女雇用機会均等法」であり、「完全男女平等」を目指しながら、現実論と整合させるために考案された「総合職」「一般職」であった。「総合職」は男性と同じ仕事をし、処遇も昇格・昇級も男性と同様だった。「一般職」は男性の仕事の補助をして、何年勤めても実績を挙げても基本的には処遇も変わらず出世もない、会社のオジサンたちには「うちの女の子」と呼ばれる女性たちだった。
総合職に進んだ女性は、評価されるには男性以上の成果を必要とした。それは女性の肉体的精神的な特性を無視して「偽男性」になることを強いる制度だった。当然総合職たちは、明菜が戦って傷ついたように精神的肉体的に病み、脱落していった。
一般職は聖子のように、会社で結婚相手を見つけ、寿退社をし、優雅な専業主婦になることが目標だった。しかし寿退社までは思惑通りに行っても、相手の給与だけでは望む生活レベルが維持できなかったり、子供に学費がかかったり、自宅のローンを抱えたりして、結局非正規のパートタイマーなどに再就職した。知っての通りパートタイマーの処遇、仕事内容は、一般職よりも更に劣悪で、聖子のような優雅な「ママドル」的主婦にはなれないのであった。
つまり一般職の女性たちは聖子を目指す目標にしたが、総合職とはまた違った理由で脱落し、ほとんどが「非正規・低給与の兼業主婦」になったのである。
「戦う女と媚び倒す女」ではこの「総合職」は明菜、「一般職」は聖子だったとリンクさせ、その本質を明らかにもしている。ただの歌手に対する評論ではなく、現代の女性の生き方も検討範囲に入れた野心的な評論である。
松田聖子、中森明菜の本質、そしてその2人にリンクする「総合職」「一般職」の挫折について詳しく知りたい方はぜひお読みください
Access
合同会社カウアンドキャット
住所 | 〒531-0061 大阪府大阪市北区長柄西1-3-22-2313 |
---|---|
電話番号 |
090-4301-0263 |
電話受付時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | なし |
業種 |
出版業 教育研修業 特定募集情報提供事業(51-募-000072) |
設立 |
2022年4月 |
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