聖子ちゃんカットは「純情な少女」を示す記号だった

理想の恋人像になるためにみんな聖子ちゃんカットにした

松田聖子が芸能界デビューをしたきっかけは、1978年に実施された「ミス・セブンティーン」に「気まぐれヴィーナス」を歌ったテープで書類応募し、本選まで進んで見事、優勝したことである。しかし、実際は公務員で古い考えの父親が娘の芸能界入りを頑として許さず、泣く泣く優勝を辞退した。

これで聖子の夢は潰えたように見えたが、しかし一方でCBSソニーの音楽ディレクター若松が、埋もれた新人を探そうと「ミスセブンティーン」応募のテープを100本ほど聴いていた時、聖子の歌を聞いて「この子は絶対スターになる」と確信し、直接聖子に「歌手にならないか」と誘ってきたことから、夢は復活した。

聖子は1年かけて父親を説得し、晴れてサンミュージック社長・相沢の自宅に寄宿生として入り、デビューに向けてレッスンすることになった。最初のサンミュージックのオーディションでは、ルックスや雰囲気では事務所側は乗り気にはならなかったが、歌った途端、俄然評価が高まって合格したのである。

折しも一世を風靡した山口百恵の結婚・引退が控えており、サンミュージックとしてポスト山口百恵を必死に探していた。そこでこの声なら、百恵の「限りなく歌手と本人の実像を一致させる戦略」とは反対の、「歌も、衣装も、普段の振る舞いも含めて『お姫様のように理想的な恋人像』になる戦略」が行けると判断され、それ以降の全ての戦略がその方向で考えられた。
ただしそれらはあくまで、楽曲、衣装、メディアに出た時の対応などだけで、それ以外は本人に任されていた。それでヘアスタイルは聖子自らが、東京・南青山にある美容室「ヘアーディメンション」の美容師と相談し作り上げたものである。

その形とは技術的に言うと「前髪は眉を隠す程度、サイドとバックは肩下5〜10センチ程度のレイヤードをセンター分けにし、毛先をサイドは後ろ、バックは内側にゆるくカールさせたスタイル」でこれが「聖子ちゃんカット」の原型となり、中~高校生の女子ならほとんどが真似をする爆発的な人気となった。
しかしこのヘアスタイルだけが要因で聖子ちゃんカットが流行ったわけではない。先ほど書いたように聖子の「売っていくイメージ」は「理想の恋人」像だった。具体的には「男子よりも前に出る勇気がないウブな心の持ち主で、でも恋人候補のことが好きで仕方ない、早くアプローチしてほしい、と焦れている」姿である。

これは聖子の楽曲のほとんどを作詞した松本隆が、独特の「淡い詩情のある世界のピュアな恋人未満のカップル」という歌の世界観を築き、聖子にそれを演じさせた、ということ大きい。

典型的な例が1982年の「赤いスイートピー」の


なぜ知り合った日から 半年過ぎても あなたって手も握らない

I will follow you あなたについてゆきたい 

I will follow you ちょっぴり気が弱いけど 素敵な人だから


である。
中~高校生女子はこの曲を聴いて「自分もこのような恋人候補が欲しい(恋人候補を得て、恋愛まで進みたい)」と願い、外見だけでも聖子の歌の世界に自分を当てはめたのである。それは独特の聖子ちゃんヘアのブームだったのだ。

なぜ聖子ちゃんカットは爆発的に流行したのか?

教室の7割が聖子ちゃんカット?


  • 聖子ちゃんカットブームの本質

    先ほど聖子ちゃんカットを真似した女子中・高校生は、聖子が演じ、歌う「理想の恋人」になりたくて、真似をしたと書いた。

    つまり有体に言えば、みんな聖子のようになれば「モテる」「恋人ができる」と思っていたのである。

    それは男子中~高校生がやはり楽曲の中の「男より前に出ないで、健気にアプローチを待つ女子」を恋人にしたいと熱烈に応援した姿を見ても「これならモテる」と思わせたはずである。
    都合の良いことに聖子は愛くるしい顔だが絶世の美女ではない、スタイルもよくないし、足はO脚である。それでいて「モテる」女子なのだから、自分でもちょっと頑張れば真似ができるほどのハードルの低さだったのだ。
    だから聖子ちゃんカットをするだけではなく、態度も聖子の仕草を真似て男子と話す努力もした。

    その姿を「余りにモテることをあざとく狙っている」女子の姿は、やはり同性の女子からは「あの子、ぶりっ子だよね」と非難されたのである。
    このように聖子ちゃんカットブームの本質は「女子の一つの典型的なモテるタイプ」を聖子が体現し、それを丸ごと真似をして「自分もモテよう」と思った女子が大量に発生した、ということなのである。

  • どれだけの女子が聖子ちゃんカットにしたか

    このように聖子ちゃんカットに象徴される「聖子なりきり」現象は女子の中にどの程度浸透したのだろうか。
    まず1つ明解なのは、1982年にデビューした小泉今日子、中山美穂、松本伊代、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら「花の82年組」のアイドルたちは、ほぼ全員、聖子ちゃんカットでデビューしたということである。つまりまず髪形を「聖子ちゃんカットにする」ことが男子、女子から「モテる」=「人気が出る」ためのアイドルの定番戦略だったのである。
    もう1つ、当時の女子学生の集合写真からも推測できる。まず1980年撮影の愛知県のある大学の卒業集合写真では総勢150ほどの中で女子学生が8割を占め、その中の30人ほどが「聖子ちゃんカット」なのである。写真が撮影された1980年は聖子がデビューした年なので知名度、浸透度がまだそれほど高くなかったことを考えると、30人/120人、つまり25%でも相当高い割合だと言えよう。
    これが聖子の全盛期の1984年になると、神奈川県の女子高校の卒業アルバムでは1ページに収録されている日常風景の生徒は12人中5が聖子ちゃんカットだと確認できる。つまり42%である。
    へスタイルという、選び方が相当に自由度が高いファッションを、半数近くの女性が同じものを選んでいる、ということは異常なほどの流行だと言えよう。

  • 終わらない聖子ちゃんカットブーム

    しかし実際に聖子が「聖子ちゃんカット」をしていた期間は意外なほど短い。

    1980年に始め、2年後の1982年末には、美容室・ヘアディメンションで新曲の「赤いスイートピー」のイメージに合わせて独断でショートヘアにしてしまったのである。
    多くのファンが驚愕したが、一旦「モテ」の記号として成立した「聖子ちゃんカット」は簡単には消滅しなかった。聖子がショートヘアから、次々にヘアスタイルを変更し「ぶりっ子」イメージから路線を変えようとしている中でも、中~高校生の女子は「聖子ちゃんカット」をし続けたのである。
    「聖子ちゃんカット」ブームの分析は「戦う女と媚び倒す女」で、さらに詳細に行っている。80年代のカリスマアイドルがどのように作られたのか興味がある方は、ぜひお読みになっていただきたい。

1980年代の松田聖子ブームについてもっと知りたい方、聖子に限らずアイドルのことを知りたい方はぜひお読みください。

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