一般女子中高生だけではなく、アイドルもデビュー時にはみんな聖子ちゃんヘアを真似した
聖子ちゃんヘアは、女子にとっても男子にとっても「理想の恋人像」を示す記号だった
聖子がデビューした年は、一世を風靡し「菩薩」とまで言われた山口百恵が結婚・引退する年でもあった。特に百恵が所属したサンミュージックとCBSソニーは第2の山口百恵を急いで育成することが緊急課題だった。そこへ現れたのが、素晴らしい声を持った松田聖子である。そこで百恵の「限りなく歌手としての虚像と、本人の実像を一致させる戦略」とは反対の、「歌も、衣装も、普段の振る舞いも含めて、『理想的な要素を集めた架空の恋人像』になる戦略」で聖子を売り出すことが決まった。
そしてキャッチフレーズも「抱きしめたい!ミス・ソニー」であり、長嶋茂雄が「ミスタープロ野球」と呼ばれたように、まさに社運を賭けているということを明確にしたデビューだった。
ただし戦略の範囲は楽曲、衣装、口調、メディアに出た時の対応の問題だけで、それ以外は本人の自由だった。そこで聖子は東京・南青山にある美容室「ヘアーディメンション」の美容師とて、「前髪は眉を隠す程度、サイドとバックは肩下5〜10センチ程度のレイヤードをセンター分けにし、毛先をサイドは後ろ、バックは内側にゆるくカールさせたスタイル」というヘアスタイルを作り出した。聖子ちゃんヘアの誕生である。
もちろん聖子ちゃんヘアだけが人気になったわけではない。聖子の「男子よりを積極的にリードはしないウブな心の持ち主で、でも相手のことが好きで仕方ないので、早くアプローチしてほしい、と焦れている」という「架空の恋人像」がまさに女子にとっても、自分が初恋の時に味わいたい、理想のあり方だったのである。
これは「白いパラソル」以降、聖子の楽曲のほぼすべてを作詞した松本隆が独特の「友人以上恋愛未満の関係の異性同士のパステル調の叙情あふれる世界観」を構築した、という影響も非常に大きい。
その代表的な例が、1982年リリースの「赤いスイートピー」の「なぜ知り合った日から 半年過ぎても あなたって手も握らない」という歌詞である。さらにこの世界観と聖子の美人ではないが愛くるしい顔立ち、フリルの付いた衣装、語尾をしゃくりあげる歌い方がぴたりと当てはまったのである。聖子ちゃんヘアもそのアイテムの一つとして、「理想の恋人像」を示す記号になった。
中~高校生女子はこの曲を聴いて「自分もこのような恋人候補が欲しい(恋人候補を得て、恋愛まで進みたい)」、もっと簡単に言えば「モテたい」と願い、できる限り聖子を丸ごとコピーしたのである。その中に、独特の聖子ちゃんヘアがあったというわけである。
聖子ちゃんヘアブームの理由を分析する
聖子ちゃんヘアは「理想の恋人」としての記号だった
サンプルテキスト
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聖子ちゃんヘアを女子が競って真似した本質
端的に言って聖子ちゃんヘアが流行ったのは、当時の女子中高生が、要は聖子が歌で見せてくれる恋愛を自分もしたい、つまりモテたい、恋人が欲しい、という願望を持ち、それに少しでも近づくために「聖子の丸ごとコピー」をしようとしたのが最大の要因である。
都合良く、聖子は「手の届くアイドル」だった。つまり聖子は愛くるしい顔だが美人ではない、胸も小さくスタイルもよくない、足はO脚である。それでいて「理想の恋愛」ができる女子なのだから、自分でもちょっと頑張れば実現しそうな「夢」だったのである。
しかしそれは実際に通っている学校の男子相手では成立しにくい恋愛だった。なぜなら「優しくて、カッコよくて、シャイな理想的な男子」などなかなかいなかったからである。その実現性が低い理想だからこそ、より聖子の提示する世界にどっぷりと浸っていたのである。 -
どれだけの人数が聖子ちゃんヘアの真似をしたか
聖子ちゃんヘアの浸透度を筆者は以下の通り推測している。
まず1つ明確に言えるのは、1982年にデビューした小泉今日子、中山美穂、松本伊代、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら「花の82年組」のアイドルたちは、皆聖子ちゃんヘアだったという事実である。つまりファンを獲得するための第一条件としては髪形を「聖子ちゃんヘアにする」のが常道だったのだ。
もう1つ、当時の女子中高生、及び大学生の集合写真からも実際にカウントすれば推測できる。まず1980年撮影の名古屋市にある大学の卒業集合写真では女子学生が120人いる中で30人ほどが「聖子ちゃんヘア」である。1980年は聖子のデビュー年なので知名度、浸透度がまだ十分ではなかったことを勘案すれば、25%の出現率でも相当高いと言えよう。
これが聖子の全盛期である1984年になると、横浜市の女子高校の卒業アルバムでは1ページに収録されている学内のスナップ写真でカウントすると全女子高生の中で42%が聖子ちゃんヘアである。
へスタイルという自由度の高いおしゃれであるにも関わらず、40%強が同じものを選んでいる、というのはマーケティング的に言えば、大流行だと言えよう。 -
本人が変えても聖子ちゃんヘアブームは変わらなかった
しかし実際に聖子が「聖子ちゃんヘア」をしていた時期は意外に短い。1980年に聖子ちゃんヘアでデビューし、2年後の1982年末には、新曲の「赤いスイートピー」に合わせて独断でショートヘアにイメージチェンジしてしまったのである。
多くのファンも、そしてプロダクション、音楽会社も驚愕したが、しかし一旦「モテ」の記号として浸透した「聖子ちゃんヘア」は簡単には消えなかった。
聖子が次々にヘアスタイルを変更し、「ぶりっ子」イメージをもっと多様なイメージにしていこうとしているにも関わらず中高校生の女子は「聖子ちゃんヘア」を続けたのである。
以上のような「聖子ちゃんヘア」ブームの本質の分析は「戦う女と媚び倒す女」で、さらに詳細に行っている。80年代のトップカアイドルがどのように生まれたのか知りたい方は、ぜひお読みになっていただきたい。
聖子ちゃんヘアが象徴する80年代の女子の特徴、アイドル史を詳しく知りたい方はぜひご一読ください
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