聖子と明菜の真の姿のごく一部をご紹介!

自分らしさを守るべく孤独に奮闘し疲弊した明菜。
周囲が準備したお神輿にうまく載って欲しいものを全てゲットした聖子。

松田聖子は1980年にCBSソニーから「裸足の季節」でデビューした。つけられたキャッチフレーズは、「抱きしめたい! ミス・ソニー」。長嶋茂雄を「ミスター・プロ野球」と呼んだように、自社の名前を冠につけるとは、ソニー側がどれだけ期待していたか分かる。この曲は資生堂の新製品「エクボ」のCMソングで顔の出演はなかったが、返ってそれが興味を煽り「あの透明な声の主は誰だ!」と評判になった。そのような世間の興味、関心の中リリースした2曲目の「青い珊瑚礁」でいち早くザ・ベストテン(TBS系)で1位となり、山口百恵の引退が秒読みの中、新しいスターの誕生を予感させた。
中森明菜はオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)で番組史上最高の392点で合格し、11社のレコード会社、プロダクションからスカウトされる。そして翌1982年に「スローモーション」でデビューした。キャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」で、大人びたアイドル像を狙っているのはわかるが、これだけの期待の新人にしては軽すぎるように思える。デビュー曲は来生たかお・来生えつこ姉弟コンビの作で曲としての質は高かったが、ミディアムテンポの大人しいものだったのでヒットにまでは結び付かなかった。そこで2曲目には一転して「ツッパリ少女」をイメージした「少女A」をリリースしたところオリコン週間ランキング1位、同時リリースのアルバム「変奏曲」74万枚と新人としては驚異的な売上を記録し、「シングルもアルバム関係なく売れる大型アイドル」として聖子を追う立場になった。
その後は2人とも常にベストテンの常連となり、何度も1位を争った。聖子は明菜を明確に自分が1番になることを阻(はば)むライバルだと思っていたが、明菜は人との競争よりも「自分らしい歌をいかに歌うか」の方に関心があった。
その2人の姿勢は、周囲の「大人」との付き合い方の違いにも明確に現れた。

聖子は「ポスト山口百恵」として「実像と歌手のあり方を一致させる」戦略とは全く逆の「ファンが頭の中に思い浮かべる理想のアイドル像」を演じる戦略だった。それが、アンチ聖子からが可愛い子ぶっている、ということで「ぶりっ子」と揶揄(やゆ)されていたが、ラジオでお笑いタレントから「ぶりっ子や~」と言われても「そうよ、私はぶりっ子よ~」と余裕で答え、どのような話題であっても受け止め、自分の人気につながるようにするに貪欲さがあった。だからお姫様の衣装も、少女の初々しい恋の歌も、水着を着てのキャンペーンも、全て周囲が用意した戦略に素直に乗ったのである。
一方明菜はデビューする前から、「中森明菜はこういう歌手であるべきだ」という明確な戦略を自分で持っており、それを周囲の「大人」と戦ってでも実現させようとした。そのため不良少女の歌である「少女A」も最初は頑として歌わないと拒否したし、水着撮影もその場から逃げ出すほど嫌がった。しかし歌うべき場では何があっても歌う、という信念があり、遊園地の特設広場でミニコンサートを開いた時も、突然の土砂降りの雨の中、観客もまばらなのにずぶ濡れになりながら最後まで「スローモーション」を歌い切った。
そのように聖子は世の中の大人の戦略を上手に利用してスターになり、神田正輝という二枚目俳優と盛大な結婚式を挙げ、子供も産んだ後も全く変わらないコンセプトで歌い続け、「ママドル」という言葉を作った。こうして聖子は自分の欲しいものを全て獲得したのである。
明菜は大人とは勝つまで戦うので毎回自分の思うような「中森明菜」像は守れたが、もともとは繊細な性格だったのでその都度心身ともに疲弊した。また山口百恵に憧れ、自分も早く結婚、出産したかったが、近藤真彦に手ひどく裏切られ、人が信じられなくなってしまった。それどころか、病名は明らかにされていないが恐らくはうつ病を発症し、人前に出ることさえできなくなった。
この2人の芸能界での生き方、したたかさは全く異なるのである。なぜこの違いが生まれたかは、育った環境の違いからも想像がつくが、歌う楽曲にもその背景に「大人の世界を生きていく戦略」が透けて見える。その詳しい分析はぜひ本書「戦う女と媚び倒す女」で読んで欲しい。

聖子、明菜の楽曲の傾向の違い

ここまで詳しい分析は初めて


  • 聖子の演じた「理想の恋人」

    聖子は与えられた曲にはほとんど注文をつけなかった。歌うのが難しい、と弱音を吐く場合もあったが、必ず自分で克服していた。

    特に6枚目のシングル「白いパラソル」から作詞は松本隆にほぼ固定され、松本の描く抒情的で詩情あふれる初期恋愛の世界が聖子の象徴する世界観そのものになった。

    それは言葉を換えれば「気の弱い恋人候補の男子がなかなかアクションに出てくれなくてやきもきする女子の恋心」を歌ったもので、同世代の男子にとっても女子にとっても、理想的な「恋愛の始まり方」の詞世界だった。

    これに作曲家としては松任谷由実、佐野元春、財津和夫、細野晴臣など松本隆が自分の描く世界に合う超一流のメンバーだったので、戦略的にも完璧なものであった。
    しかしその少女像は真の聖子とは全く異なった。

    彼女の本質は恋愛に限らず自分の意思を通すことに対して非常に積極的かつ頑固であった。

    その典型例が、CSBソニーのディレクターにスカウトされたが父親が上京して歌手になることをなかなか承諾してくれない時も、粘り強く説得しながらディレクターにはその状況を綿々と手紙を出し、最後は「許してくれなければ家出して上京する」とまで書いたことである。この時、最終的に条件付きで父親は承諾したが、ディレクターから言われていた日程よりも半年早く、勝手に久留米の高校から東京の堀越高校への編入手続きを自分で済ませ、上京してきてしまった。

    また、「一途な愛」を歌いながら実際には結婚後も多くの男性との艶聞を流した。
    このように「歌われている聖子」と「歌っている聖子」はいわば正反対の性格で、リアル聖子は「気が弱くてなかなかリアルの恋愛ができない男子とマンガのようなロマンティックな初恋がしたい女子が中心のファン層にとって理想の女性」を演じ切ったのである。

    この詳細な楽曲分析は「戦う女と媚び倒す女」に詳細に述べており、かなり興味深いのでぜひお読みいただきたい。

  • 明菜の「生まれながらの孤独」の表明

    「少女A」が売れてから、明菜の楽曲戦略は「ツッパリ少女」の純愛系と「純情少女」の切ない気持ち系の2種の歌を交互にリリースすると言うものだった。この理由は明菜のイメージを「ツッパリ」に固定したくなかった点と、明菜自身に、「戦って自分を通す」強さと「愛する人のためには無私の気持ちで尽くす」純情さという、持って生まれた性格を楽曲世界でも表現するためだった。
    しかし井上陽水作詞作曲の「飾りじゃないのよ涙は」で独特な少女の孤独感を、スタンドマイクでロック歌手風に歌い、ヒットしたことがきっかけとなり、明菜は完全なセルフプロデュースに移行した。そしてその中で、自分の「生まれながらの孤独」を曲のコンセプトにするようになった。

    たとえばそれは


    やりきれないほど 退屈な時があるわ あなたといても 喋るくらいなら 踊っていたいの 今は 硝子のディスコティック」(「DESIRE」)


    という楽曲群である。

    「生まれながらの孤独」の中身は、明菜の真っ黒で深い穴の中を覗き込むように、実に気の毒で可愛そうなのだが、それはどうか「戦う女と媚び倒す女」の本書で読んで欲しい。
    そしてその生まれながらの孤独を歌った曲が、アイドルの曲など眼中になかった「バリバリに働き、疲弊しきっている大人の女性」の支持を受け、「ミ・アモーレ」「DESIRE」と連続してレコード大賞を受賞したのである。つまり明菜は自分の身を削って曲を作り、精神的体力の全てを使って歌ったのである。まるでそれは、敗北が分かっていながら全力で戦う少女武闘家のようだった。

  • 聖子と明菜にリンクする女性像

    聖子は周囲の大人の用意した戦略に乗って、好意も悪意も上手く利用しながら、自分の欲しいものを全てゲットした。
    明菜は自分自身の人に譲れない自分らしさを守るために戦い、最後には勝利したが、そのプロセスで毎回大きな傷を負った。
    これが著者の2人のトップアイドルの分析である。
    ところが芸能界の典型的な2人以外にも、この2人に象徴される身近な女性たちが存在する。
    それが、まさに聖子と明菜の絶頂期である、1985年に制定された「男女雇用機会均等法」で生まれた「総合職」「一般職」であった。

    「総合職」は処遇も昇格・昇級も男性と同様であり、当然ながら仕事も男性と同じことをしなければならないという職種である。

    「一般職」は均等法施行前から「事務員」として存在し、昇級昇格もほとんどなく、処遇も男性よりかなり低いが、男性の仕事の補助だけでよい職種である。

    総合職を選んだ女性は、仕事や出世に対するモチベーションは非常に高かったが、そのためには男性を圧倒する実績を出さなければ評価されなかった。

    つまりこの制度は結局「やる気があるならオレたちの世界に女性もいれてあげてもいいけれど、手加減はしないよ」と言うもので女性の肉体的精神的なハンディや長所を無視して「男性と全く同じ」でなければならなかった。

    当然総合職の彼女たちは、明菜が戦ってボロボロになったように精神的肉体的に疲弊し、脱落していった。

    一般職は最初から上昇志向はなく、聖子のように将来性のある男性と結婚し、優雅な専業主婦になることが目標だった。

    しかし思った通りに結婚・寿退社しても、相手の給与では思ったような優雅な生活ができなかったり、子供の学費が大きかったり、自宅のローンを抱えたりして、非正規のパートタイマーなどで働くしかないという例がほとんどだった。

    その処遇、仕事内容は企業の正社員・一般職の時より劣悪で、人生設計が全く狂ったと後悔することもしばしばであった。

    つまり一般職の彼女たちは聖子を生き方を見本としたが、総合職とはまた違った意味で脱落し、ほとんどが「しんどくて忙しい兼業主婦」にならざるを得なかった。
    「戦う女と媚び倒す女」は結婚してもいずれは働くことが一般的になった女性と、同時代を駆けた2人のトップアイドルを重ね合わせながら、女性の人生の本質を明らかにした評論である。

聖子、明菜の対照的な生き方とその本質、そして一般女性が2人のアイドルのように2通りの生き方をした分析を詳しく知りたい方はぜひご一読ください

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