人気者の悪口がマスコミとして1番ウケる「ネタ」になることが最大の要因
明菜がわがまま、聖子がぶりっ子と言われた本当の事情とは
私たちが1980年代に得た、最高の女性アイドルと言えば中森明菜と松田聖子だという点について異論を唱える人は少ないでしょう。中にはこの2人に小泉今日子を入れる人もいるかも知れませんが、レコードセールスの観点で言えばキョンキョンは全くこの2人に及びません。
ちなみに2人がどのような記録を持っているかいくつか挙げてみましょう
◆中森明菜
・日本レコード大賞2回受賞(連続)
・ザ・ベストテン第1位69回(1位)
・ザ・ベストテン1位獲得曲17曲(1位)
・ザ・ベストテン年間10位以内ランクイン連続年数7年(1位)
・1890年代シングル総売上(年間50位以内限定)932.5万枚(1位)
・オリコンチャート年間50位以内ランクイン曲数22曲(1位)
・オリコンの年間アーティスト・トータル・セールス4回(1位)
◆松田聖子
・ザ・ベストテン第1位44回(3位)
・ザ・ベストテン1位獲得曲15曲(2位)
・オリコン月間チャート首位獲得曲15曲(歴代3位・ソロ1位)
・アルバム首位獲得数19作(歴代4位・単独女性3位)
・日本武道館コンサート回数121回(歴代2位・女性1位)
いかがでしょうか。キリがないのでもうやめておきますが、レコード売上的には明菜に若干の軍配が上がるものの、どちらも「記憶にも記録にも残るアイドル」であることに違いはないでしょう。
これだけ人気が出れば、世の常としてそれを揶揄する人間が出てきます。その典型が「明菜はわがまま」「聖子はぶりっ子」というものです。しかし本当にそうだったのでしょうか。
確かに明菜は感情の起伏が激しく、スタッフに対して時折厳しい声を出したのは事実のようです。しかしその内容は、明菜はデビュー時から「自分らしさ」「中森明菜がするべき仕事・するべきでない仕事」という確固とした基準を持っていました。ですからそれに反しているものは絶対に許さず、たとえば次回の新曲候補に「これは嫌」と拒否したとか、衣装に「これは私のセンスじゃない」と拒んだとか、水着撮影が嫌で現場を走って出てしまった、などの何も知らない人が見れば「わがまま」に思える言動をとっていました。また明菜は非常にプロフェッショナル意識を持っている人で、打ち合わせと現場が違っていると非常に怒りましたし、スタッフが1分でも遅刻するのを許しませんでした。更にまだ10代の頃は言葉の表現力がなかったので「イヤ」「しない」などしか言えず、「理由」や「背景」を説明しなかったので、言われた方は「単に感情だけで言っている」と思い「わがまま」だと感じたのでしょう。しかし20代になってからは、語彙も増えきちんと論理的に説明できるようになりました。この点については後年、明菜自身が以下のように言っています。
「たとえば『中森はこんなふうに売っていきたいので、そういう番組に出るのはよくないです』と言うとします。スタッフが言えば、それは方向性だし、明日に向けての売り方の戦略だし、会議で話されてしかるべき内容でしょう。そういうスタンスで客観的に物を言っているつもりなのに、『この番組は嫌い』と感情で言っているととられてしまう。私はあくまでプロデューサーの立場で、歌手・中森明菜のために言ってるつもりなのに、単なるワガママだと思われてしまう」。いずれにしても「明菜はわがまま」という非難は明菜のことをよく知らない人間が面白おかしく言い始めた、ということは確かでしょう。
また聖子は愛らしいルックス、フリルのついたお姫様のような衣装で、少女の純粋な恋愛をテーマにした曲を選んで歌っていましたので、ある意味「可愛い」と言われるのは戦略通りでした。それを「可愛い子ぶりっ子」の略で「ぶりっ子」と呼ばれるようになったのは、その3拍子揃った「可愛さ」が余りにでき過ぎていたので、悪意を持ってみれば「作りすぎ」と思われたことと、何よりレコード大賞の新人賞受賞の瞬間に泣き顔を見せたが涙は出ていなかった、というのを「泣き真似」として漫才師の「やすこ・けいこ」がネタにしたことで「ぶりっ子」という揶揄が定着したのです。しかし悲しいけれど涙が出ないということは何かの拍子に誰でも起こることです。ですからその一瞬をとらえて「ぶりっ子」と決めつけるのは余りフェアではないでしょう。
このような理由から明菜は「わがまま」、聖子は「ぶりっ子」は根拠のない揶揄だということはお分かりでしょう。「戦う女と媚び倒す女」にはもっと詳しく書いてありますので、ぜひお読みください。
「わがまま」説、「ぶりっ子」説を更に検証する
聖子と明菜の本質とは
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明菜の母性の強さが「守る人」と「戦う人」を分けた
明菜は強い母性の持ち主でした。早く結婚して子供が欲しいとも言っていましたし、楽屋などに友達が子供連れてくると、本当にうれしそうに相手をしていました。
しかしそのせいで「わがまま」というレッテルを貼られた部分もあったのです。
明菜は自分の意に沿わないマネージャーはすぐに交代させ、それが続いたので「わがまま」といわれるようになったのも事実です。しかしそのほとんどはマネージャーが打ち合わせ通りに仕事をしていなかったから、などが理由でしたが、そのうちの1回は、TV曲の出口で親衛隊が群がっているのに対して、マネージャーが威嚇し排除したところ、「私の友達に何するの!大人の社会にいて私にはこの人たちだけが友達なのよ!」といってマネージャーをクビにしたという例もありました。ファンは確かにファンにしか過ぎないのですが、明菜は自分に好意を寄せてくれる人たちを家族同様に大切に思い、守ろうとしていたのです。まさに母性が表に出た、ということでしょう。それはデビュー当時、依頼されても友人の名を頑として明かさなかったことが、取材に協力的ではないとして記者からよく思われなかった、という背景もあるかも知れません。しかし明菜がなぜ明かさなかったのかと言えば、明かすと記者が友達のところにも取材に押しかけて友人に迷惑を掛けたり、発言していない内容を掲載したりして友人を傷つけることを恐れたからです。
いずれにしても「わがまま」というのは明菜の本質を知らない人の言説であることは間違いありません。 -
聖子は「ぶりっ子」さえ自分の「売り」にしてしまうしたたかさを持っていた
聖子はデビュー時からスタッフの提案やプロデューサーの指示に不満を示すことはあったものの、「イヤ」と言ったことはありませんでした。むしろ周囲が用意してくれた「お神輿」にうまく乗って、他人の力も借りて売れて行こうという姿勢を非常に明確に持っていました。
その極端な例が「あのねのね事件」です。あのねのねの原田伸郎のラジオ番組に出演した時に原田から「やっぱりぶりっ子や!」とからかわれても、聖子は少しも怒ったりせず自分で「そうよ、私はぶりっ子よ」として逆に笑いを取ろうとしたのです。つまり周囲の流れに乗って話題を盛り上げ、結果的に自分への好感度を上げ、ほかの番組などからの出演依頼を増やそうという作戦だったのです。
こういうことの積み重ねで、雑誌撮影などの時にカメラマンに「ぶりっ子ポーズをお願いします」と、ある意味では失礼なことを言われても「はーい、よろしくお願いしまーす」と平気でできたのです。それはカメラマンにも、同席している雑誌社の担当にも「松田聖子は仕事がやりやすい」という印象を与え、それが評判となれば、一層人気が増すことになったでしょう。
聖子はそこまで考えて「ぶりっ子」という揶揄の言葉を逆を自分の力にするというしたたかさを持っていたのです。 -
聖子と明菜の本質は「わがまま」「ぶりっ子」と逆
人間社会における揶揄が往々にして、本質と逆のことを示している、というのはよくある話です。
そういう意味では明菜は「わがまま」である以前に、痛々しいほど繊細な神経を持って、人の気持ちを考える人間でした。だから一旦心を許した人には、どこまでも許してしまい、返って裏切られてひどく傷ついたりしたのです。
その1番の例が家族でした。明菜は自分がスターになると、兄弟が次々に勤めを辞めて明菜のプロダクションに入って給料をもらっているということに心を痛めていました。それは自分の給料を掠め取られている、という怒りでもあり、同時に寄生して生きて行こうとしている兄弟たちの生きる姿勢がよくないと思っていたからです。
そこで彼女は銀行から1億円の借金をしてビルを建て、父親、5人の兄弟のためにそれぞれ飲食店を開きました。これで自分の力で自分の生活費を稼ぐまともな人間になってもらおうと思ったのです。しかし彼らは明菜の意に反して、適当に店を経営し全て潰してしまいました。そして結局、1億円の借金だけが残り、明菜はせっかく買ったビルを売ることになってしまったのです。
この「事件」によって明菜がひどく裏切られたという思いになったことは間違いありません。
また聖子は可愛いだけの「ぶりっ子」とは全く逆の性格でした。まず意志の強さです。
久留米に住んでいた高校生の頃、聖子は何としても歌手になりたくて、何度もオーディションを受けましたが、なかなか合格しません。しかしその中の1つのオーディションに送ったテープを、たまたま聞いたCBSソニーのディレクターが「歌手にならないか」と電話をくれた時、すぐにYesと答えました。
しかし公務員だった父親は芸能界のような浮かれたところに娘はやるわけにはいかないと言って、なかなか承諾しません。何度も久留米まで来て父親を説得してくれたディレクターに、彼女は「これ以上承諾してくれなかったら家を出ます」と何度も手紙を出し、その準備もしていました。その気配を察したのか父親が3年やって成功しなかったら戻ってくる、という条件で承諾してくれました。
そこでプロダクションのオーディションをディレクターの段取りで合格し、念願の歌手になることが決定しました。
ただしプロダクションからは半年後に来るようにと言われたにもかかわらず、聖子はすぐ久留米の高校を自分で退学し、東京の堀越高校への編入手続きも済ませ、言われた期日の半年前に強引にプロダクションに来てしまったのです。それほど彼女は早く歌手になりたいのと、半年待つ間に状況が変わるのを恐れたのです。
プロダクション側は驚きましたが、帰すわけにもいきません。そこで聖子はそのまま社長の家の寄宿生になり、歌のレッスンを続けながらデビューの時期を待ったのです。
このように単なる「ぶりっ子」には絶対にないような意志の強さと行動力を実際の聖子は持っていたのです。
以上のような豊富なエピソードで語られる聖子と明菜の本質に迫る物語をもっと知りたければ、ぜひ「戦う女と媚び倒す女」をご一読ください。
聖子と明菜の本質をもっと知りたいと思われたらぜひ「戦う女と媚び倒す女」をお読みください!
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2022年4月 |
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